2013年8月21日水曜日

ニューナンブ(1)


Text:Onnyk


第五列という言葉を知ったのは、「ジャスミンおとこ」という本でした。
ウニカ・チュルンというなんだかゼリーみたいな名前の女性詩人の書き溜めた記録でした。
彼女はちょっとヤバカッタらしい。二十歳前の私は、なんだかスキゾとか、パラノイアとかそういう言葉に興味があったし、今で言うアウトサイダーアートとか、その文学版の方に興味を持っていたわけです。よくあることでしょう。多分筒井康隆の影響だな。


それと私は絵が好きで、とくにマックス・エルンストとか、イヴ・タンギーとかシュール系の人が好きだった。そしてまたハンス・ベルメールもね。で、「ジャスミンおとこ」の表紙にはベルメールの描いたウニカの顔が(顔が性器だと言われた女優がいましたが、この絵では顔の真ん中が性器です!)。彼女はベルメールの情婦(いい言葉だな)だったんですね。

彼女がイッタのは、詩作のしすぎだったみたいです。どうしてかというと、彼女はある一行の文章から、其の文字だけを使って延々と何行も生み出す。だから言葉遊びばかり考えていた、一日中。
何を聴いても、読んでも、分解して組み立て直すことばかり考えていた訳です。これは神経すり減りますね。「ジャスミンおとこ」はなかなか面白い本です。そして、そこかしこに「第五列」が登場する。彼女の妄想の中では、見張っていたり、助けてくれたり、まあ秘密組織みたいな感じです。

歴史的な意味の第五列はここでは説明しません。私と友人達が考えていたのは、結局なんらかの「芸術運動」だったんでしょう。どこかダダとか、シュルレアリスムとか、未来派とか、フルクサスなんかに憧れていたと言ってもいいんでしょう。でも違うのは、それを「聴覚」のほうから行けないかなというあたりでした。勿論、絵画やら詩やらのジャンルは考えない訳でもなかった。ゲソ藤本や「あかなるむ」(詩人・村中直人の変名)は、早くから詩に目覚めていましたから。

そして我々には、カセットテープという、録音、編集、複製、郵送において、安価かつ簡易なソフト、ラジカセやウォークマンというハードがあったのです。これは我々の原稿用紙であり、キャンバスであり、絵筆であり、そして世界中のどこでもが録音スタジオになったのです。さらに、我々には強い味方が現れました。それは北園克衛、清水俊彦、奥成達などと前衛的、視覚/音声的、実験的、国際的な詩の運動を続けてきた詩人、高橋昭八郎と知己になったことです。1977年の冬でした。 
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盛岡なう

 20132月、宮西計三が盛岡に移住してきた。彼をご存知か。漫画家、画家としてつとに有名だ。70年代にデビューして、その細密な描写、エロティックな姿態と性器のアップ、ストーリーより、まずは魔術的構図と詩的な構成が、カルト的支持者を獲得した。遠藤ミチロウのスターリンがアルバム「トラッシュ」(1981)のジャケットに彼の作品を使い、インディーズ(自主制作レコード=ヴィニールのことです)シーンのファンにも知られる事になった。



またロックバンドOnnaを結成、アルバムを発表し、ミュージシャンとしても活躍した。
しかし、とある事情で彼は一旦第一線から身をひく。そして隠棲の後、21世紀になって、ゆるゆると音楽に、画壇に復帰してきた。今、彼は日本を代表するエロティックアーティストの一人として、フランスで人気です。クールジャパンじゃなくて、エロスジャパン。OnnaのアルバムもアメリカでCD化して再発されている。近年、彼はパートナーであるパフォーマー薔薇絵とも共演を続けてきた。
 そして多くの共演者とのコラボレーションも。

その活動範囲は主に東京であった。しかし彼は次第に飽き足らなくなってきた。また不満が募ってきた。何にか。東京である。確かに東京には全てが有る。しかしそれは過剰でもあり、それ故に空虚である。そういう感覚が彼の中で醸成されてきた。そんな折、盛岡に何度か彼を呼んだ。
盛岡には彼の熱心なファンが少なからず居た。彼は、遂に盛岡への移住を決意した。

盛岡にはまた特異な画風で知られる漫画家がもう一人いた。菅野修である。菅野の最新の単行本「筋子」は各方面で絶賛されている。私も、もしかしたら彼の最高傑作かもしれないと思っている。これは一種の「能」だ。登場人物は死者ばかり。何度も死を思い出すばかり。恐るべき作品である。
 私は、実は菅野とは20年来の知己であるが、それは主に共演者としての関係である。彼が天才的な演奏家の貌を見せることがあるのを知る人は決して多く無い。

これから少し、宮西や菅野といったアーティストを足がかりに盛岡とその周辺のミュージシャンを紹介して行こうと思う。(続)

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