2014年2月22日土曜日

Virginia Genta (Jooklo Duo) インタビュー Part1





インタビュアー:堀 史昌


今、世界で最もハードコアな演奏をするフリージャズのユニットは間違いなくイタリアの2人組Jooklo Duoだろう。Jooklo Duoの女性サックスプレイヤーで、アグレッシブなプレイを聞かせるVirginia Gentaにメールで話を聞いた。質問したいことは尽きず、インタビューはかなりの長さになったため、2回に分けてお届けする。



―初めてあなたを見たのはJooklo Duoのビデオ「Free jazz in the woods」です。アグレッシブかつ過激で情熱的な演奏に興奮させられました。このようなスタイルの演奏をいつ、どのように確立したのですか?



このスタイルの正確なスタート地点を把握することはかなり複雑ですそれは人間の内側の奥底に秘められた未知の源泉を母胎とする、神秘的活動としてのサウンドを表現していく過程にあるのだと思っています。それは時間、リハーサル、そして経験を要します。最初に音楽を演奏し始めた頃、私は大量のノイズ、アヴァンギャルド、エクスペリメンタル・ミュージック、フリージャズを聴いていました。私の最初のサックスはとても粗悪なアルトでした。それで生み出せる最良のサウンドは幾分狂った高い悲鳴のような音で、それが始まりですね。(最近、アルトを売る前にもう一度トライしてみたけど、過去に自分が演奏していたことが信じられないぐらい、どうしようもない音だったわ!)

だから音符や音階とは関係のない不思議なサウンドからサックスの演奏を始めたのです。それがサウンドを構成する大きな要になっているように思います。でも、それはほんの始まりに過ぎず、何年も研究を重ねてもっともっと深く入り組んだサウンドになっていきました。それから、ドラマーDavid Vanzanとの10年近い活動は到達不可能なサウンドへと私を駆り立てるもう一つの重要な要素です。彼はいつも私にとっての挑戦をつくりだしてくれるんです。彼のプレイはとてもパワフルで速いので、彼のリズムについていくために必死に吹かないといけないわ!


―私もDavid Vanzanはあなたと同じように素晴らしいプレイヤーだと思います。彼との出会いとJooklo Duo結成の詳細について教えてくれますか?

私たちが15歳の頃、アートスクールで出会いました。すぐに友達になって1年後ぐらいには一緒に演奏していたわ。極初期のバンドは私がドラム、Davidがギター、別の女の子もギターを弾いていたの…。それは技術的な発想はまるでなく、とてもラフでフリーフォームな、自由なサウンドでしたね。それから、地元の友達と組んだ別のトリオを経験したけど、18歳の時に一番楽しめるのはデュオだと気づいて、私たちにとって初となる本当のプロジェクトを結成しました(それに伴ってイタリアとヨーロッパのツアーを始めたわ)。それはZurich against Zurichというグループで、私はエレキギターによるノイズ、Davidはドラムを演奏していました。私たちは巨大なアンプの壁を作って、とてもアグレッシブでハーシュなサウンドを生み出したわ。まるでテロ攻撃だったと言ってもいいぐらいの...。見た人は今でも、ずっと忘れないだろうと言っています。



2004年に私は初めて粗悪なアルトを買い、Jooklo Duoとして演奏を始めました。重いアンプを持ち歩かなくていいし、Zurich against Zurichの時はしょっちゅう起こっていた、会場のオーナーから野球のバットで殴られるというリスクも背負わなくていいので、ツアーをするにはかなり楽なデュオでしたね。そこから私たちはリードとドラムによるデュオの可能性を奥深くまで探る作業をじっくりと始めていき、最近になってその可能性は無限だということが分かりました。

―Zurich against Zurichもまた素晴らしいですね。ノイズの壁が耳に心地よいです。たくさんのノイズ、アヴァンギャルド、エクスペリメンタルミュージック、フリージャズを聴いていたとありますが、具体的なアーティストの名前を教えてもらえますか?特にどのアーティストから影響を受けましたか?最初にJooklo Duoの音を聴いたとき、私は日本のサックスプレイヤー阿部薫を少し思い出しました。彼を含め、日本のフリージャズあるいはアヴァンギャルド音楽を聴いたことはありますか?

サックスを始めるころ(2004年)まで、私は違う音楽の聴き方をしていましたね。ほとんどの時間をあるアーティストの特定のレコードだけを好んで聴くことに費やしていました。全てのアルバムタイトルは思い出せないけどAlice Coltrane"Journey to Satchidananda""Ptah the el Daoud"は間違いなく一番聴いたわ。Sun Ra"Space is the place"もね。これらの3枚のレコードは私の魂に大事なことは何かをしっかりと教えてくれたわ。John Cortalane"Olatunji concert"も本当に好きですね。当時彼のレコードで好きだったのはこの1枚だけでした。それからEvan Parkerのいくつかのレコードも同じぐらいよく聴いていたし、当時からインプロやノイズをたくさん聴いてましたね。Wolf Eyes, や大友良英, Merzbow、そして今思い出せないけど他のアーティストのCDRなども。ああ、ちょうどサックスをプレイし始めた頃、Paul FlahertyChris Corsanoのデュオによるライブにも衝撃を受けたわ。でも、私はStockhausenXenakisといった現代音楽の作曲家にも入れ込んでいました。

ほんの何年か前まで日本の70年代のフリージャズ・シーンについて何も知りませんでした。私が阿部薫を初めて聴いたのは2007年の時だったと思います。Jooklo Duoの最初のレコード "Free Serpents"がリリースされたばかりの頃で、誰かが私の音が阿部に少し似ているとレビューに書いたのです。それでこの人のことをチェックして見たくなりました。彼のアプローチは好きだけど、彼には影響されていないと言う必要があります。私は異なるサウンドの考え方に根ざしています。それはおそらくテナープレイヤー的な性格が強いからでしょう。テナーサックスはアルトとは性質的に全く違いますからね。

当時から日本のシーンについては本当によく探してますよ。小杉武久、タジ・マハール旅行団、冨樫雅彦、高木元輝、Jojo高柳などを...。彼らは皆、本当にスペシャルでオリジナルな音楽を生み出しているわ。阿部と近いところにいて、彼と数年共演したサブ豊住との共演(2010)も本当に楽しかったですね。サブは素晴らしいドラマーで今でもとても情熱的でパワフルな演奏をします。彼は私とDavid”Overhang Party A memorial to Kaoru Abe”というCDをくれましたが、とても美しいと思ったし、たぶん今のところ阿部の中で一番お気に入りの音源ですね。


阿部の中で一番気に入っているのは高柳昌行と共演した「解体的交換」ですね。このアルバムのサウンドはノイジーかつ過激なものです。それは日本のアンダーグラウンドミュージックの伝統といってもいいかもしれません。しかし、イタリアでJooklo Duo以外にそのようなサウンドを演奏する音楽家を知りません。なので、イタリアのフリージャズ、アバンギャルドシーンについて教えてもらえますか?

あのレコードは狂っているわ...。あなたの言っていることは全くその通りで、ジャズに限らず、アブストラクトあるいは最先端のサウンドにも通じる、いわゆる日本のエクストリーム音楽の大きな伝統ですね。イタリアの演奏家でこういった音楽をプレイしている人を知りません。私の知る限り誰も...。もちろん素晴らしい音楽(プログレやサイケデリック、エクスペリメンタル電子音楽、現代音楽といった)はあるけど、国際的に知られるほど大きなエクストリーム、あるいはフリーな音楽シーンはないわ。少なくとも現在世界中で知られている日本の70年代フリー/インプロシーンと比べるとね。

何かを取り上げなければいけないとすれば N.A.D.M.A.というアンサンブルによる1973年の素晴らしいレコード "Uno Zingaro Di Atlante Con Un Fiore A New York"を挙げることができます。もちろん、よく知られたGruppo di Improvvisazione Nuova Consonanza(完全にイタリアのグループというわけではないけど)や、ジャズ即興家のAndrea Centazzoやあまり知られてない Giorgio Burattiによる実験音楽などもね。シリアス、フリーかつアグレッシブな音楽をプレイ出来るイタリアのミュージシャンはたくさんいたけど、いつしか彼らは皆、メインストリームなジャズやフュージョン、ポップスといったより安全なフィールドに転身していったのです。ある理由によって、イタリアのミュージシャンはインプロヴィゼーション音楽を演奏している時でさえも、フォーマルな構造やハーモニー感覚を常に探っているように見えます。それはこの国固有の歴史に根差しているものなのではないかと思いますね。

阿部薫や高柳昌行といった人たちが70年代に演奏を始めた時、意識的にせよ無意識にせよ、彼らは日本の文化を保ちつつも一方ではその文化の規制を破ろうとする意志があったのでしょう。イタリアではバックグラウンドにあるのはクラシック音楽であり、誰もそれに反抗しようとするものはいないのです。正直に言って、私の見るところでは(イタリアの:筆者追記)アヴァンギャルド音楽は悲しいことにとても貧しく混乱した状況にあると思っています。とてもよいミュージシャンはそこら中にいるけれど、真に挑戦的あるいは格別素晴らしい音楽はまったくないですね。海外に輸出されているもので誇れるようなものはないといっていいですね。イタリアは社会、政治、音楽、コンセプト、情熱、あらゆる意味において後退の時期にあるのです。事態は進行中で、今や終わりにさしかかっていますね。


クラシック音楽が背景にあるかどうかは大きな違いにつながっていると思います。
日本のミュージシャンは西洋のミュージシャンよりもクラシック音楽の規則から自由なのだと思います。それがおそらく、日本にミュージシャンが多くのノイジーかつ過激な音楽を生み出すことができた一つの理由なのでしょう。イタリアのアヴァンギャルド・グループのなかではM.E.V.が好きですね。ところで、そのような状況のなかであなたはどのようにしてフリージャズやアヴァンギャルドな音楽に目覚めたのでしょうか?若い頃、インターネットでそのような音楽を聴いていたのですか?それともレコードショップで探していたのですか?

もちろんMusica Elettronica Vivaは素晴らしいけど、イタリアのグループとみなすことは難しいですね。私の知っている限りではグループはローマで結成されているけれど、イタリア人は誰も関わっていないわ。私はイタリア北東部の小さな街で育ちました。そこは何もないところで、ライブやリハーサルをやるところもなければ、レコードショップもない、何の楽しみもない場所だったわ。私はとても気難しい10代を送っていて、しょっちゅう大人とのいさかいを探していて、自分は気難しく、孤立していると思っていました。そんな感情のサウンドトラックに成りえる音楽を熱心に探すようになるのは、当然の帰結でしょうね。でも、音楽を見つける場所はなかったし、インターネット革命はまだ起こっていませんでした。

だから、友達がテープをコピーしたりCDRを焼いたりしてくれることが音楽を知る唯一の方法でしたね。私が最初に手に入れたのはパンクだったわ...。それから父からもらったCharlie Parker Thelonious Monkといったテープに関心を寄せるようになりました。これはとてもラッキーでしたね。だって、父はたくさんのジャズロックやプログレ、そしていくつかのフリージャズのレコードを含めた70年代物の素晴らしいレコードコレクションをもっていたから(私が15歳の時にOrnette ColemanSam Riversを発見したのはこのコレクションから)。私とDavidは幸運なことに同じ町に住んでいる、ある初老の男性に出会いました。彼はアヴァンギャルド、ノイズ、フリージャズのCDをごまんと買っていてたわ。彼が新たな世界への案内役になってくれたのです。


―確かにM.E.V.はイタリアのグループとよべないかもしれませんね。あなたが育った場所は何というところですか?音楽が好きな人には厳しい環境ですね。アートスクールに通っていること、友人たちはどんな音楽を聴いていたのですか?その男性の詳細について教えてもらえますか?彼はどんな仕事をしていたのでしょう?

私が育った小さな町はEsteというところですね。大体15,000人ぐらいが住んでいます。そこにはたくさんの教会や店があるけど、それしかないところです。10代の頃は、その場所が嫌いだったということを認めざるを得ないわね。毎日毎日、私を心底イラ立たせてくれたわ。そこに住んでいたころは嫌だったけど、今では全てにつながる意味があったのだとハッキリ分かります。過去が困難であれば、現在も困難なものになるでしょう。だから、私は何も後悔していません。私は過去を信じているし、いつだって私を正しい方向に導いてくれるのだということを知っています。

学校にはあまり多くの友達はいなかったわ。私とDavidの友達のほとんどは年上で、彼らはすでに学校を卒業していました。彼らは90年代のノイズロックやそういったものをよく聴いてましたね。もっとアンダーグラウンドでストレンジな音楽を私たちに教えてくれた男性は音楽学校でフルートを研究していた、ある種の一匹狼でした。彼はそこで電子音楽も教えてましたね(もしかしたら逆かも。今となっては思い出すことが出来ないわ...)
彼は家で音楽を研究し、どこかで買ってきたレコード(彼はどうやってとんでもない量のレコードを手に入れていたのか分かりませんが)を聴き、音楽のレビューを書くことに没頭していましたね。私たちはよく午後に彼の両親が住んでいるところに彼を訪問し、彼が手に入れたばかりの新しいレコードを聴いたものです。そして彼はいつもそのコピーを作ってくれました。家に帰ってから、それら全てに耳を通す...そうやって私たちはAlice ColtraneSun Ra70年代ヨーロッパ・フリージャズやその他多くの音楽を見つけました。


―なるほど。あなたはJooklo Duo, Golden Jooklo duo, Neokarma Jooklo Duo or Jooklo Stellar TribeなどのようにJookloという言葉をよく使っていますね。Jookloの意味を教えてもらえますか?なぜJookloという言葉を様々なグループに用いているのでしょうか?
 
Virginia: Jookloは空想の言葉なんです。私たちは何もないところからその名前を発明しました。私たちは普遍的な言葉を使いたいと思っていて、普遍的かつどんな言語でも理解できる名前にしたいと思っていました。それは現存の言語では不可能だったので、自分たちの音楽を表現出来る新しい言葉を見つけたのです。数年間、世界中の多くの友人たちが各国の言葉で違う意味を見つけています。日本語でもそれは出来ますよね?私たちが全てのプロジェクトに関わっているということを認識できるようにするために、ほとんどのグループにJookloという言葉を使っています。時々Jookloに違う言葉を付け加えていますが、それは別のミュージシャンが関わっていたり、音楽の内容自体が違うことがあるからです。でも、ここ数年は別のプロジェクトをやっている(もしくは、やっていた)こともあります。Hypnoflash(Claudio Rocchetiとのトリオ)Maitres Fous(フランスの仲間Jeremie Sauvage and Mathieu Tilly)、直近では実験的エレクトロ・アコースティック・アンサンブルSinergia Elettronica(ドイツのミュージシャンMoritz Finkbeiner, Werner Nötzel, Thilo Kuhn e Thomas Schätzl)などが挙げられますね。


―それは素晴らしいアイディアですね。私は無から有を生み出すことはミュージシャンやアーティストにとって重要なことだと考えています。Jookloを直訳すると十黒になります。あなた達は多くのミュージシャンとコラボレーションしていますね。特にArrington de dioysoとのセッションについて聞かせてほしいですね。彼のことを最近知って、とても気になっているからです。このセッションは凄いですね。いつどうやって彼と知り合ったのですか?



人がJookloの意味を解釈してくれるのが好きなんです。意味はたくさんあるみたいなの!
あなたと同じようにサブ豊住も意味を説明してくれたんだけど、若干意味が違いますね(彼は高黒だと説明してくれて、日本の漫画とともに字を書いてくれました。今でもそれを持っていますが、本当に綺麗です)。2009年にマドリードで小杉武久と共に作業をしている時、彼はJookloという言葉の意味にかなり関心を寄せていました。様々な言語によるたような意味が書かれた紙を持って劇場に現れた日のことを覚えています。彼は本格的な調査をしていましたが、何故そうしたのかは分かりません。本当に素晴らしかったわ!Arringtonとの共演を気に入ってくれてありがとう。同じツアーで行われた2つのビデオです。これらは実際はレコーディング・セッションでした(レコードでリリースするはずだったのですが、テープが壊れてしまったのです。これらのビデオはわずかなドキュメントからの抜粋です)。 

Arringtonとは知り合いになるかなり前から彼の音楽を知っていました。私がサックスを始める前の頃からですね。若い頃、彼の古くからのバンドOld Time Relijunを良く聴いていて、とても楽しんでいました。そして、(2009年の)ある日ドイツの同じ会場で彼とプレイすることになりました。そこで出会い、同じ夜にジャムをして、お互いにとても気に入るようになったのです。それから、もっと一緒にセッションをするべきだという考えになったのです。その後、アメリカとヨーロッパでミーティングを続け、2012年にイタリアでトリオによるギグを何回か行いました(あなたが見たビデオです)。


―Jookloは重黒という意味でもありますね。私は重くて暗い音楽にハマっているので、この意味のイメージが好きですね。あなたとArringtonによるサイケデリック・トライバル・インプロヴィゼーションには飛ばされました。また彼とは共演して欲しいですね。Arringtonは民族音楽の要素を自分のサウンドに取り入れる術に長けていると思っています。それについてはどう思いますか?あなた達も民族楽器を使って、独特な音楽を作り上げていますね。

私達は日本に行って、Arringtonと演奏するべきだわ!私達はまだ日本に行ったことがないのです。あなたの言うとおり、民族音楽と実験音楽を融合させるArringtonの作品は本当に見事です。私は様々な言語を用いてるところも好きですね。インドネシア語で歌っていますし、Old Time Relijunではスペイン語、イタリア語、英語で歌っていますが、本当に面白いですね。民族音楽への愛、それらのサウンドを今までとは異なる、あるいは新しい曲に統合するための研究、といった点は確かに彼との共通点ですね。

私は世界中の本当に多くの伝統音楽を探っています。これがもっとも私に影響を与えていることだと言えるでしょう。(一つの例ですが)時々、私はカンボジアのメロディを聴いていると、そのメロディがとても深く刺さることがあります。その後、テナーサックスによるハーモニクスとオーバートーンを使って、自分がそれと似たようなことをやっていたのに気づいたのです。Davidもパーカッションを使って同じようなアプローチをしていました。時間、空間、文化によって異なる表現をとっていますが、音の根源は世界で同じだと最近になって思うようになってきました。だから私たちは普遍的なサウンドを探らなければならないのです。それはとても複雑なことであり、人を啓発することもあれば純然たる狂気へと導いてしまうこともあるでしょう。(続)




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